光と色の話 第一部

光と色の話 第一部

第21回 青空・夕焼け・白い雲

・・・・・ 光の散乱による発色現象 ・・・・・

自然界における様々な発色現象の内、今回は「光の散乱」を原理とするものを採り挙げてみましょう。

晴れた日の昼間は気持ちの良い青空が広がり、所々に白い雲が浮かんだりしています。また、日没が近づくと、西の空は真っ赤な夕焼けに染まります。私たちが当たり前に経験してきたことなのですが、なぜこのような色に見えるのでしょうか。

これらの色は、全く異なる色に見えるのですが、その原因は、いずれも「光の散乱」という物理現象によるものなのです。同じ原因なのに、条件の違いによって真っ青に見えたり真っ赤に見えたりするのです。無味乾燥とも思われる物理現象の結果が、こんなにも異なった結果をもたらし、人の情感に強く訴えかける力を持つことに、大自然のいたずらを越えた壮大なロマンを感じずにはいられません。

その「散乱現象」とはどのような現象なのか、また、「条件の違い」とはどんな違いなのでしょうか?

光の散乱現象

光は均質な媒質中では基本的に直進する性質を持っていますが、媒質が均一でない場合は進行方向が変化することがあります。

一般に、光の行く手に存在する微粒子等によって光の進行方向が不規則に変化する現象を「光の散乱」と呼んでいます※1

光には、波動性と粒子性の二面性があることは既に本連載の第 2 回『光は電磁波の 1 種』で触れましたが、「散乱」という現象は、光を粒子性と波動性を併せ持った「波連 wave train 」(第 2 回の※3参照)のイメージで考えると理解し易いかと思います。光子(こうし)すなわち波連は、電磁波としてのエネルギーの塊(粒子性)が振動(波動性)しながら飛来してくるものです。光の進路に微粒子が存在すると、波連の振動する電場・磁場と、その微粒子を構成する分子や原子の電場・磁場との間に相互作用が起こり、波連と微粒子との間に反発・吸引力が働き、その結果、波連の進行方向が様々に変化します。これが「散乱」です。

光と微粒子との相互作用によって起こる散乱の程度(散乱され易さ)は、光の波長 λ と微粒子の大きさ D(分子や原子による電場・磁場の領域)との相対関係で決まります。微粒子の大きさ D が光の波長 λ よりも遥かに小さい場合( D << λ )は、光の波長が短いほど散乱され易く、具体的には波長 λ の 4 乗に逆比例して散乱され易くなります。この領域の散乱を「レイリー散乱」と呼んでいます。

微粒子の大きさ D が、光の波長 λ と同程度あるいはそれよりも大きめ( Dλ ないし Dλ )になると、散乱のされ方は波長 λ に依存せず、どの波長も均等に散乱されるようになります。

この領域の散乱を「ミー散乱」と呼んでいます。

太陽光の進路と地球を取り巻く大気層の関係

私たちの住む地球は、その周りが大気の層でくるまれていますが、この大気層は窒素分子、酸素分子を主成分とする空気から成り、その中に水蒸気・水滴や塵埃等の様々な種類の微粒子が浮遊しています。太陽の光は宇宙空間からこの大気層を通して地上に降り注いできています。

晴天の真昼は、地表から見れば、太陽の高さは高く、頭上方向から光が射しています。(太陽光は大気層に垂直に近い角度で入射します。)

一方、夕方や明け方は、地表から見れば、太陽の高さは低く、水平方向から光が射してきます。(太陽光は大気層に対して非常に浅い角度で入射します。)

従って、相対的に、真昼は太陽光が通過する大気層の距離は短く、夕方や明け方はその距離が長くなります。つまり、太陽光が通過する大気層中の通過距離(大気層の厚み)が真昼と朝夕では格段に異なることになり、これが原因で、光の散乱のされ方が違ってしまうため、以下のような仕組みで、青空に見えたり、夕焼けに見えたりすることになる訳です。

日中晴天が青い理由 と 夕焼け・朝焼けが赤い理由

太陽光が大気層に突入してくると、大気中の空気分子や様々な微粒子群によって散乱を受けます。大気中の微粒子群の内、太陽光の波長よりもずっと小さい微粒子では、波長の4乗に逆比例するレイリー散乱が起こり、短い波長ほど多く散乱されます。散乱された光はその周辺の微粒子により更にまた何度も散乱が繰り返され(多重散乱)、空一杯に散乱光が広がっていきます。波長の長い光は散乱を受けにくいため、大気中への散乱による広がりは短波長光よりずっと少なくなります。

晴天真昼の場合、太陽光が通過する大気層中の距離が短いため、可視域の長波長光成分(赤~橙色に見える)の散乱量は少なく、専ら可視域の短波長光成分(紫~青色に見える)が散乱して空一杯に広がるため、空全体が青く染まって見えることになります。※2

一方、夕方や明け方の場合は、太陽光が通過する大気層中の距離が真昼より格段に長くなるため、短波長光成分は真昼よりも更に散乱され続け、地表に到達した時(観察者の眼に入る時)には、短波長成分は残り僅かの状態になってしまいます。それに対して、散乱されにくい長波長光成分は、それでも長い距離を通過するにつれて、或る程度の量が散乱され、太陽光の進路の周辺に広がりますが、空全体に広がるまでには至りません。

結局、太陽から直接人間の目に到達する光は、短波長成分が非常に少なく、長波長成分は一部散乱されつつもまだかなりの量が残っている状態になっていることになり、太陽自体は真っ赤に見え、また、太陽方向の周辺の空に散乱された長波長光成分が広がり、赤く染まって見えることになります。

このように、日中晴天が青く見えるのも夕焼けが赤く見えることも、原因は全く同じレイリー散乱という現象なのです。

ただ、その散乱現象を観察する条件が、真昼と夕方(明け方)とで異なるだけで、あれほど鮮やかな色の違いとして現れる訳で、自然の演出には改めて驚かされます。

太陽光の進路と地球を取り巻く大気層の関係

大気中には、様々な大きさの粒子が浮遊していますが、その中で比較的大きな粒子は水滴です。雲の正体は大気中に浮かんだ水滴群であることはよく知られています。この水滴群がなぜ白く(無彩色に)見えるのでしょうか?

これも、散乱の理論で説明されます。雲を形成する水滴は、太陽からの光(可視光)の波長に比べて同程度ないしはそれより大きい粒子になっています。従って、このような水滴に光が当たると、ミー散乱が起こります。ミー散乱では、可視光のどの波長も同じように散乱されますので、観察者の眼に入ってくる雲からの散乱光は、どの波長の光もほぼ均等に入ってくることになり、その結果、無彩色に見えることになります。雲にも色々種類がありますが、例えば入道雲は真っ白く見えるのに、雨雲は暗い灰色に見えます。いずれも無彩色ですが、なぜ、このように違って見えるのでしょうか?

雨雲の場合は、観察者の頭上に厚い雲があり、その向こうに太陽がある、という位置関係になります。太陽からの光は雲の水滴群でミー散乱を受けますが、観察者方向に散乱された光は、その行く手にまだまだ厚い水滴群の層があるため、多重散乱および吸収を受け、雲の水滴群層を突き抜けて観察者の眼に到達する光は非常に少なくなってしまい、その結果、非常に暗く見える(黒く見える)ことになります。

一方、入道雲が見えるのは、観察者が入道雲に正対していて、太陽が観察者の背後あるいはそれに近い方向(少なくとも横方向)から雲を照らしている状態です。太陽の光が水滴群でミー散乱を受けますが、観察者方向に散乱された光は、多重散乱や吸収をあまり受けずに、観察者の眼に飛び込んできます。つまり、太陽光は雲の水滴群によってあまり減衰せずに観察者の眼に到達しますので、明るく見える(白く見える)訳です。

巨視的に表現すれば、雨雲の場合は、雲の透過散乱光を見ており、入道雲の場合は、雲の反射散乱光を見ていることになります。従って、入道雲であってもその真下に観察者が居る場合には真っ白には見えず、暗い雨雲として見えることになりますし、また、雨雲の上を飛ぶ飛行機からは、雨雲であっても真っ白に見えます。

空気の無い宇宙では、真昼でも空は真っ暗

下の写真は、アポロ 11 号の月面探査時の写真ですが、クッキリと強い影が写っている(昼間である)にも関わらず、空は真っ暗ですね。

日中晴天の空が青く見えるのも、朝焼け・夕焼けが赤く見えるのも、いずれも大気中に浮遊する微粒子によるレイリー散乱という物理現象のためでした。従って、この散乱を起こす微粒子が無ければ散乱は発生しない訳です。

宇宙空間や月面は殆ど真空ですので、散乱を引き起こす微粒子は存在せず、太陽光は散乱されません。月面の上空を太陽光は通過して行っているのですが、散乱されないため、月面の宇宙飛行士方向には光が来ず、月面や宇宙空間では真昼であっても真っ暗にしか見えない訳ですね。

注釈

※1

「散乱 scattering 」と「拡散 diffusing 」という用語は、どちらも障害物によって光の進行方向が変化した結果の現象として使用されます。これらの用語の定義の違いは JIS においても明確にされておらず( JIS Z 8120:2001 光学用語 01.01.47)、世の中ではかなり重複した概念で使用されているようですが、実際の使用のされ方としては、大雑把には以下のような使い分けの傾向があるように思われます。「散乱」は、障害物を構成する分子・原子あるいはそれに準じた微粒子と光との相互作用にまで着目した微視的考察を背景にした場合に多く使用されるようです(レイリー散乱、ミー散乱、ラマン散乱、ブリルアン散乱、等々)。それに対して、「拡散」は、そのような微粒子レベルにまでは踏み込まずに、光の進行方向の変化を障害物による屈折・回折・散乱などの諸現象の結果としての様々な方向への反射・透過と捉えた巨視的考察を背景にした場合に多く使用されるようです(拡散反射、拡散透過、拡散照明、等々)。

光と微粒子の相互作用の過程で、エネルギーのやり取りが発生しない場合を「弾性散乱」と呼び、散乱された光の波長は変化しません(レイリー散乱、ミー散乱等)。一方、エネルギーのやり取りが発生する場合を「非弾性散乱」と呼び、散乱された光の波長が、授受されたエネルギー相当分だけ入射光の波長より長波長側あるいは短波長側に変化します(ラマン散乱、ブリルアン散乱等)

※2

可視放射より波長の短い紫外放射はもっと散乱されます。真夏の日中は木陰にいても日焼けするのは散乱された紫外放射の影響が大きいと考えられています。

青空・夕焼け・白い雲
・・・・・ 光の散乱による発色現象 ・・・・・

光と色の話 第一部

光と色の話 第一部

第21回 青空・夕焼け・白い雲

・・・・・ 光の散乱による発色現象 ・・・・・

自然界における様々な発色現象の内、今回は「光の散乱」を原理とするものを採り挙げてみましょう。

晴れた日の昼間は気持ちの良い青空が広がり、所々に白い雲が浮かんだりしています。また、日没が近づくと、西の空は真っ赤な夕焼けに染まります。私たちが当たり前に経験してきたことなのですが、なぜこのような色に見えるのでしょうか。

これらの色は、全く異なる色に見えるのですが、その原因は、いずれも「光の散乱」という物理現象によるものなのです。同じ原因なのに、条件の違いによって真っ青に見えたり真っ赤に見えたりするのです。無味乾燥とも思われる物理現象の結果が、こんなにも異なった結果をもたらし、人の情感に強く訴えかける力を持つことに、大自然のいたずらを越えた壮大なロマンを感じずにはいられません。

その「散乱現象」とはどのような現象なのか、また、「条件の違い」とはどんな違いなのでしょうか?

光の散乱現象

光は均質な媒質中では基本的に直進する性質を持っていますが、媒質が均一でない場合は進行方向が変化することがあります。

一般に、光の行く手に存在する微粒子等によって光の進行方向が不規則に変化する現象を「光の散乱」と呼んでいます※1

光には、波動性と粒子性の二面性があることは既に本連載の第 2 回『光は電磁波の 1 種』で触れましたが、「散乱」という現象は、光を粒子性と波動性を併せ持った「波連 wave train 」(第 2 回の※3参照)のイメージで考えると理解し易いかと思います。光子(こうし)すなわち波連は、電磁波としてのエネルギーの塊(粒子性)が振動(波動性)しながら飛来してくるものです。光の進路に微粒子が存在すると、波連の振動する電場・磁場と、その微粒子を構成する分子や原子の電場・磁場との間に相互作用が起こり、波連と微粒子との間に反発・吸引力が働き、その結果、波連の進行方向が様々に変化します。これが「散乱」です。

光と微粒子との相互作用によって起こる散乱の程度(散乱され易さ)は、光の波長 λ と微粒子の大きさ D(分子や原子による電場・磁場の領域)との相対関係で決まります。微粒子の大きさ D が光の波長 λ よりも遥かに小さい場合( D << λ )は、光の波長が短いほど散乱され易く、具体的には波長 λ の 4 乗に逆比例して散乱され易くなります。この領域の散乱を「レイリー散乱」と呼んでいます。

微粒子の大きさ D が、光の波長 λ と同程度あるいはそれよりも大きめ( Dλ ないし Dλ )になると、散乱のされ方は波長 λ に依存せず、どの波長も均等に散乱されるようになります。

この領域の散乱を「ミー散乱」と呼んでいます。

太陽光の進路と地球を取り巻く大気層の関係

私たちの住む地球は、その周りが大気の層でくるまれていますが、この大気層は窒素分子、酸素分子を主成分とする空気から成り、その中に水蒸気・水滴や塵埃等の様々な種類の微粒子が浮遊しています。太陽の光は宇宙空間からこの大気層を通して地上に降り注いできています。

晴天の真昼は、地表から見れば、太陽の高さは高く、頭上方向から光が射しています。(太陽光は大気層に垂直に近い角度で入射します。)

一方、夕方や明け方は、地表から見れば、太陽の高さは低く、水平方向から光が射してきます。(太陽光は大気層に対して非常に浅い角度で入射します。)

従って、相対的に、真昼は太陽光が通過する大気層の距離は短く、夕方や明け方はその距離が長くなります。つまり、太陽光が通過する大気層中の通過距離(大気層の厚み)が真昼と朝夕では格段に異なることになり、これが原因で、光の散乱のされ方が違ってしまうため、以下のような仕組みで、青空に見えたり、夕焼けに見えたりすることになる訳です。

日中晴天が青い理由 と 夕焼け・朝焼けが赤い理由

太陽光が大気層に突入してくると、大気中の空気分子や様々な微粒子群によって散乱を受けます。大気中の微粒子群の内、太陽光の波長よりもずっと小さい微粒子では、波長の4乗に逆比例するレイリー散乱が起こり、短い波長ほど多く散乱されます。散乱された光はその周辺の微粒子により更にまた何度も散乱が繰り返され(多重散乱)、空一杯に散乱光が広がっていきます。波長の長い光は散乱を受けにくいため、大気中への散乱による広がりは短波長光よりずっと少なくなります。

晴天真昼の場合、太陽光が通過する大気層中の距離が短いため、可視域の長波長光成分(赤~橙色に見える)の散乱量は少なく、専ら可視域の短波長光成分(紫~青色に見える)が散乱して空一杯に広がるため、空全体が青く染まって見えることになります。※2

一方、夕方や明け方の場合は、太陽光が通過する大気層中の距離が真昼より格段に長くなるため、短波長光成分は真昼よりも更に散乱され続け、地表に到達した時(観察者の眼に入る時)には、短波長成分は残り僅かの状態になってしまいます。それに対して、散乱されにくい長波長光成分は、それでも長い距離を通過するにつれて、或る程度の量が散乱され、太陽光の進路の周辺に広がりますが、空全体に広がるまでには至りません。

結局、太陽から直接人間の目に到達する光は、短波長成分が非常に少なく、長波長成分は一部散乱されつつもまだかなりの量が残っている状態になっていることになり、太陽自体は真っ赤に見え、また、太陽方向の周辺の空に散乱された長波長光成分が広がり、赤く染まって見えることになります。

このように、日中晴天が青く見えるのも夕焼けが赤く見えることも、原因は全く同じレイリー散乱という現象なのです。

ただ、その散乱現象を観察する条件が、真昼と夕方(明け方)とで異なるだけで、あれほど鮮やかな色の違いとして現れる訳で、自然の演出には改めて驚かされます。

太陽光の進路と地球を取り巻く大気層の関係

大気中には、様々な大きさの粒子が浮遊していますが、その中で比較的大きな粒子は水滴です。雲の正体は大気中に浮かんだ水滴群であることはよく知られています。この水滴群がなぜ白く(無彩色に)見えるのでしょうか?

これも、散乱の理論で説明されます。雲を形成する水滴は、太陽からの光(可視光)の波長に比べて同程度ないしはそれより大きい粒子になっています。従って、このような水滴に光が当たると、ミー散乱が起こります。ミー散乱では、可視光のどの波長も同じように散乱されますので、観察者の眼に入ってくる雲からの散乱光は、どの波長の光もほぼ均等に入ってくることになり、その結果、無彩色に見えることになります。雲にも色々種類がありますが、例えば入道雲は真っ白く見えるのに、雨雲は暗い灰色に見えます。いずれも無彩色ですが、なぜ、このように違って見えるのでしょうか?

雨雲の場合は、観察者の頭上に厚い雲があり、その向こうに太陽がある、という位置関係になります。太陽からの光は雲の水滴群でミー散乱を受けますが、観察者方向に散乱された光は、その行く手にまだまだ厚い水滴群の層があるため、多重散乱および吸収を受け、雲の水滴群層を突き抜けて観察者の眼に到達する光は非常に少なくなってしまい、その結果、非常に暗く見える(黒く見える)ことになります。

一方、入道雲が見えるのは、観察者が入道雲に正対していて、太陽が観察者の背後あるいはそれに近い方向(少なくとも横方向)から雲を照らしている状態です。太陽の光が水滴群でミー散乱を受けますが、観察者方向に散乱された光は、多重散乱や吸収をあまり受けずに、観察者の眼に飛び込んできます。つまり、太陽光は雲の水滴群によってあまり減衰せずに観察者の眼に到達しますので、明るく見える(白く見える)訳です。

巨視的に表現すれば、雨雲の場合は、雲の透過散乱光を見ており、入道雲の場合は、雲の反射散乱光を見ていることになります。従って、入道雲であってもその真下に観察者が居る場合には真っ白には見えず、暗い雨雲として見えることになりますし、また、雨雲の上を飛ぶ飛行機からは、雨雲であっても真っ白に見えます。

空気の無い宇宙では、真昼でも空は真っ暗

下の写真は、アポロ 11 号の月面探査時の写真ですが、クッキリと強い影が写っている(昼間である)にも関わらず、空は真っ暗ですね。

日中晴天の空が青く見えるのも、朝焼け・夕焼けが赤く見えるのも、いずれも大気中に浮遊する微粒子によるレイリー散乱という物理現象のためでした。従って、この散乱を起こす微粒子が無ければ散乱は発生しない訳です。

宇宙空間や月面は殆ど真空ですので、散乱を引き起こす微粒子は存在せず、太陽光は散乱されません。月面の上空を太陽光は通過して行っているのですが、散乱されないため、月面の宇宙飛行士方向には光が来ず、月面や宇宙空間では真昼であっても真っ暗にしか見えない訳ですね。

注釈

※1

「散乱 scattering 」と「拡散 diffusing 」という用語は、どちらも障害物によって光の進行方向が変化した結果の現象として使用されます。これらの用語の定義の違いは JIS においても明確にされておらず( JIS Z 8120:2001 光学用語 01.01.47)、世の中ではかなり重複した概念で使用されているようですが、実際の使用のされ方としては、大雑把には以下のような使い分けの傾向があるように思われます。「散乱」は、障害物を構成する分子・原子あるいはそれに準じた微粒子と光との相互作用にまで着目した微視的考察を背景にした場合に多く使用されるようです(レイリー散乱、ミー散乱、ラマン散乱、ブリルアン散乱、等々)。それに対して、「拡散」は、そのような微粒子レベルにまでは踏み込まずに、光の進行方向の変化を障害物による屈折・回折・散乱などの諸現象の結果としての様々な方向への反射・透過と捉えた巨視的考察を背景にした場合に多く使用されるようです(拡散反射、拡散透過、拡散照明、等々)。

光と微粒子の相互作用の過程で、エネルギーのやり取りが発生しない場合を「弾性散乱」と呼び、散乱された光の波長は変化しません(レイリー散乱、ミー散乱等)。一方、エネルギーのやり取りが発生する場合を「非弾性散乱」と呼び、散乱された光の波長が、授受されたエネルギー相当分だけ入射光の波長より長波長側あるいは短波長側に変化します(ラマン散乱、ブリルアン散乱等)

※2

可視放射より波長の短い紫外放射はもっと散乱されます。真夏の日中は木陰にいても日焼けするのは散乱された紫外放射の影響が大きいと考えられています。

青空・夕焼け・白い雲
・・・・・ 光の散乱による発色現象 ・・・・・

光と色の話 第一部

光と色の話 第一部

第21回 青空・夕焼け・白い雲

・・・・・ 光の散乱による発色現象 ・・・・・

自然界における様々な発色現象の内、今回は「光の散乱」を原理とするものを採り挙げてみましょう。

晴れた日の昼間は気持ちの良い青空が広がり、所々に白い雲が浮かんだりしています。また、日没が近づくと、西の空は真っ赤な夕焼けに染まります。私たちが当たり前に経験してきたことなのですが、なぜこのような色に見えるのでしょうか。

これらの色は、全く異なる色に見えるのですが、その原因は、いずれも「光の散乱」という物理現象によるものなのです。同じ原因なのに、条件の違いによって真っ青に見えたり真っ赤に見えたりするのです。無味乾燥とも思われる物理現象の結果が、こんなにも異なった結果をもたらし、人の情感に強く訴えかける力を持つことに、大自然のいたずらを越えた壮大なロマンを感じずにはいられません。

その「散乱現象」とはどのような現象なのか、また、「条件の違い」とはどんな違いなのでしょうか?

光の散乱現象

光は均質な媒質中では基本的に直進する性質を持っていますが、媒質が均一でない場合は進行方向が変化することがあります。

一般に、光の行く手に存在する微粒子等によって光の進行方向が不規則に変化する現象を「光の散乱」と呼んでいます※1

光には、波動性と粒子性の二面性があることは既に本連載の第 2 回『光は電磁波の 1 種』で触れましたが、「散乱」という現象は、光を粒子性と波動性を併せ持った「波連 wave train 」(第 2 回の※3参照)のイメージで考えると理解し易いかと思います。光子(こうし)すなわち波連は、電磁波としてのエネルギーの塊(粒子性)が振動(波動性)しながら飛来してくるものです。光の進路に微粒子が存在すると、波連の振動する電場・磁場と、その微粒子を構成する分子や原子の電場・磁場との間に相互作用が起こり、波連と微粒子との間に反発・吸引力が働き、その結果、波連の進行方向が様々に変化します。これが「散乱」です。

光と微粒子との相互作用によって起こる散乱の程度(散乱され易さ)は、光の波長 λ と微粒子の大きさ D(分子や原子による電場・磁場の領域)との相対関係で決まります。微粒子の大きさ D が光の波長 λ よりも遥かに小さい場合( D << λ )は、光の波長が短いほど散乱され易く、具体的には波長 λ の 4 乗に逆比例して散乱され易くなります。この領域の散乱を「レイリー散乱」と呼んでいます。

微粒子の大きさ D が、光の波長 λ と同程度あるいはそれよりも大きめ( Dλ ないし Dλ )になると、散乱のされ方は波長 λ に依存せず、どの波長も均等に散乱されるようになります。

この領域の散乱を「ミー散乱」と呼んでいます。

太陽光の進路と地球を取り巻く大気層の関係

私たちの住む地球は、その周りが大気の層でくるまれていますが、この大気層は窒素分子、酸素分子を主成分とする空気から成り、その中に水蒸気・水滴や塵埃等の様々な種類の微粒子が浮遊しています。太陽の光は宇宙空間からこの大気層を通して地上に降り注いできています。

晴天の真昼は、地表から見れば、太陽の高さは高く、頭上方向から光が射しています。(太陽光は大気層に垂直に近い角度で入射します。)

一方、夕方や明け方は、地表から見れば、太陽の高さは低く、水平方向から光が射してきます。(太陽光は大気層に対して非常に浅い角度で入射します。)

従って、相対的に、真昼は太陽光が通過する大気層の距離は短く、夕方や明け方はその距離が長くなります。つまり、太陽光が通過する大気層中の通過距離(大気層の厚み)が真昼と朝夕では格段に異なることになり、これが原因で、光の散乱のされ方が違ってしまうため、以下のような仕組みで、青空に見えたり、夕焼けに見えたりすることになる訳です。

日中晴天が青い理由 と 夕焼け・朝焼けが赤い理由

太陽光が大気層に突入してくると、大気中の空気分子や様々な微粒子群によって散乱を受けます。大気中の微粒子群の内、太陽光の波長よりもずっと小さい微粒子では、波長の4乗に逆比例するレイリー散乱が起こり、短い波長ほど多く散乱されます。散乱された光はその周辺の微粒子により更にまた何度も散乱が繰り返され(多重散乱)、空一杯に散乱光が広がっていきます。波長の長い光は散乱を受けにくいため、大気中への散乱による広がりは短波長光よりずっと少なくなります。

晴天真昼の場合、太陽光が通過する大気層中の距離が短いため、可視域の長波長光成分(赤~橙色に見える)の散乱量は少なく、専ら可視域の短波長光成分(紫~青色に見える)が散乱して空一杯に広がるため、空全体が青く染まって見えることになります。※2

一方、夕方や明け方の場合は、太陽光が通過する大気層中の距離が真昼より格段に長くなるため、短波長光成分は真昼よりも更に散乱され続け、地表に到達した時(観察者の眼に入る時)には、短波長成分は残り僅かの状態になってしまいます。それに対して、散乱されにくい長波長光成分は、それでも長い距離を通過するにつれて、或る程度の量が散乱され、太陽光の進路の周辺に広がりますが、空全体に広がるまでには至りません。

結局、太陽から直接人間の目に到達する光は、短波長成分が非常に少なく、長波長成分は一部散乱されつつもまだかなりの量が残っている状態になっていることになり、太陽自体は真っ赤に見え、また、太陽方向の周辺の空に散乱された長波長光成分が広がり、赤く染まって見えることになります。

このように、日中晴天が青く見えるのも夕焼けが赤く見えることも、原因は全く同じレイリー散乱という現象なのです。

ただ、その散乱現象を観察する条件が、真昼と夕方(明け方)とで異なるだけで、あれほど鮮やかな色の違いとして現れる訳で、自然の演出には改めて驚かされます。

太陽光の進路と地球を取り巻く大気層の関係

大気中には、様々な大きさの粒子が浮遊していますが、その中で比較的大きな粒子は水滴です。雲の正体は大気中に浮かんだ水滴群であることはよく知られています。この水滴群がなぜ白く(無彩色に)見えるのでしょうか?

これも、散乱の理論で説明されます。雲を形成する水滴は、太陽からの光(可視光)の波長に比べて同程度ないしはそれより大きい粒子になっています。従って、このような水滴に光が当たると、ミー散乱が起こります。ミー散乱では、可視光のどの波長も同じように散乱されますので、観察者の眼に入ってくる雲からの散乱光は、どの波長の光もほぼ均等に入ってくることになり、その結果、無彩色に見えることになります。雲にも色々種類がありますが、例えば入道雲は真っ白く見えるのに、雨雲は暗い灰色に見えます。いずれも無彩色ですが、なぜ、このように違って見えるのでしょうか?

雨雲の場合は、観察者の頭上に厚い雲があり、その向こうに太陽がある、という位置関係になります。太陽からの光は雲の水滴群でミー散乱を受けますが、観察者方向に散乱された光は、その行く手にまだまだ厚い水滴群の層があるため、多重散乱および吸収を受け、雲の水滴群層を突き抜けて観察者の眼に到達する光は非常に少なくなってしまい、その結果、非常に暗く見える(黒く見える)ことになります。

一方、入道雲が見えるのは、観察者が入道雲に正対していて、太陽が観察者の背後あるいはそれに近い方向(少なくとも横方向)から雲を照らしている状態です。太陽の光が水滴群でミー散乱を受けますが、観察者方向に散乱された光は、多重散乱や吸収をあまり受けずに、観察者の眼に飛び込んできます。つまり、太陽光は雲の水滴群によってあまり減衰せずに観察者の眼に到達しますので、明るく見える(白く見える)訳です。

巨視的に表現すれば、雨雲の場合は、雲の透過散乱光を見ており、入道雲の場合は、雲の反射散乱光を見ていることになります。従って、入道雲であってもその真下に観察者が居る場合には真っ白には見えず、暗い雨雲として見えることになりますし、また、雨雲の上を飛ぶ飛行機からは、雨雲であっても真っ白に見えます。

空気の無い宇宙では、真昼でも空は真っ暗

下の写真は、アポロ 11 号の月面探査時の写真ですが、クッキリと強い影が写っている(昼間である)にも関わらず、空は真っ暗ですね。

日中晴天の空が青く見えるのも、朝焼け・夕焼けが赤く見えるのも、いずれも大気中に浮遊する微粒子によるレイリー散乱という物理現象のためでした。従って、この散乱を起こす微粒子が無ければ散乱は発生しない訳です。

宇宙空間や月面は殆ど真空ですので、散乱を引き起こす微粒子は存在せず、太陽光は散乱されません。月面の上空を太陽光は通過して行っているのですが、散乱されないため、月面の宇宙飛行士方向には光が来ず、月面や宇宙空間では真昼であっても真っ暗にしか見えない訳ですね。

注釈

※1

「散乱 scattering 」と「拡散 diffusing 」という用語は、どちらも障害物によって光の進行方向が変化した結果の現象として使用されます。これらの用語の定義の違いは JIS においても明確にされておらず( JIS Z 8120:2001 光学用語 01.01.47)、世の中ではかなり重複した概念で使用されているようですが、実際の使用のされ方としては、大雑把には以下のような使い分けの傾向があるように思われます。「散乱」は、障害物を構成する分子・原子あるいはそれに準じた微粒子と光との相互作用にまで着目した微視的考察を背景にした場合に多く使用されるようです(レイリー散乱、ミー散乱、ラマン散乱、ブリルアン散乱、等々)。それに対して、「拡散」は、そのような微粒子レベルにまでは踏み込まずに、光の進行方向の変化を障害物による屈折・回折・散乱などの諸現象の結果としての様々な方向への反射・透過と捉えた巨視的考察を背景にした場合に多く使用されるようです(拡散反射、拡散透過、拡散照明、等々)。

光と微粒子の相互作用の過程で、エネルギーのやり取りが発生しない場合を「弾性散乱」と呼び、散乱された光の波長は変化しません(レイリー散乱、ミー散乱等)。一方、エネルギーのやり取りが発生する場合を「非弾性散乱」と呼び、散乱された光の波長が、授受されたエネルギー相当分だけ入射光の波長より長波長側あるいは短波長側に変化します(ラマン散乱、ブリルアン散乱等)

※2

可視放射より波長の短い紫外放射はもっと散乱されます。真夏の日中は木陰にいても日焼けするのは散乱された紫外放射の影響が大きいと考えられています。

青空・夕焼け・白い雲
・・・・・ 光の散乱による発色現象 ・・・・・

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